さまざまな土地に、さまざまな石

「要るときに要らないで、要らないときに要るものなーんだ!」と問われた時の解が「べんとうのフタ、、、?」であるように、「要るときは煙たがられるけど、要らないときには求められる生き方」を模索している自分にとって、この詩学的な換喩と現代の些末なシーソーゲームとの関連性には、べんとうのフタほどの興味があふれる。
主語や目的語を最大限省くことが許されている私たちの日本語にとって、「要る」を保護するフタとしての「要らない」は明記されず、「要らない」を支える論拠としての「要る」の存在もまたしかりであるため、私たちの多くが「要る」に傾いてしまうことは致し方ない。
しかし、宇宙の大部分の存在が、その初期生成段階による反物質消滅によってかろうじて生きながらえている事実を忘れてはいけない。「要らない存在」は常にどこかで、「要る存在」だと声高に自認するあなたを、見つめているのだから…